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お好み焼きの歴史

お好み焼きの歴史を知ろう♪お好み焼きの歴史を知ろう♪

街頭で「お好み焼きといえば?」と聞いたら、大阪!と言った回答が出てくると思います。そんなお好み焼きの歴史もやはり大阪から・・・?と考える人も多いはず。でも本当はどうなんだろう?ということで、お好み焼きの歴史についてご紹介します!!!

お好み焼きのルーツは戦国時代から!?お好み焼きのルーツは戦国時代から!?

そもそもお好み焼きはいつからあるの? ということですが、なんとお好み焼きの起源は安土桃山時代に千利休 が作らせていた「麩の焼き」であると言われています。千利休といえばお茶。茶聖とまで呼ばれているお茶の先人の利休。そうなんです。最初はお茶菓子だったんです。 「麩の焼き」から江戸時代末期から明治にかけ、味噌の代わりに餡を巻いて作る「助惣焼」が生まれ 屋台などで売られていました。この「助惣焼」は「お好み焼き」と「どら焼き」二つの起源とも言われています。お好み焼きとどら焼きが同じ起源・・・というのも面白いものですね!明治時代に入ってからは、東京で「もんじゃ焼き」「どんどん焼き」と今のお好み焼きに近いものが生まれました。 このあたりからお好み焼きがお菓子から主食へと変わっていったのです。 材料も餡などから野菜が多く使われるようになって今までのお茶菓子の一種からは変わり始めてきました。 そして、関東大震災の際には主食的位置を占めていたとされます。 色々なお野菜を入れて、焼いてすぐ食べれる簡単で手軽なもの、ということもあったからこの頃の主食的位置につけたのではないでしょうか。

お好み焼きは戦後から広まるお好み焼きは戦後から広まる

戦後の飢餓の時代、空腹をいやす食べ物を求めて、懸命に食べものを探し求めていた頃、にわかにクローズアップされた食品がありました。 その食品とは、子供達の間で人気のあった駄菓子屋の「一銭洋食」です。小麦粉を水で溶いて焼いたものにねぎなどをのせてソースをかけて食べる。そこから小麦粉にキャベツを混ぜて焼いてソースをかけて食べると変わっていったのです。前者の一銭洋食で満たされない空腹をキャベツでかさ増しして主食にする。こうして戦後手軽で簡単に作れるお好み焼きが出来たとされています。
そして、お好み焼きといえばもう一つ「広島焼き」についてですが、広島でお好み焼きが広まったきっかけも同じく、昭和25年頃アメリカ軍から支給されたメリケン粉(=小麦粉)を水で溶いて薄く延ばして焼き、その中に観音ネギ(広島市観音地区で多く作られる、九条ネギの流れをくむネギ)をまぶして一緒に焼いたものが主流であった。当時高かったネギに代わり、安くておいしくて、ボリュームのあるキャベツが使われるようになったのが、広島焼きの原型である。また、お好み焼の名前の由来通り、「好きなものを入れて食べる、ボリュームアップしてお腹一杯になる」中華麺を入れることで、広島独特のお好み焼きに成長していった。また現在でも、一銭洋食の名残からか、お持ち帰り用のお好み焼きとして二つ折りのお好み焼きも見かけることがある。

現在のお好み焼き事情現在のお好み焼き事情

そんなお好み焼きが全国に広まったのは高度経済成長期、テレビの存在が多くあります。テレビで放送される料理番組に当時の人々は釘付け!!テレビの中から音と映像で見える美味しそうな料理。瞬く間に地域だけの食べ物が全国に広がりました。そして、高度経済成長期を経て一気に日本は豊かになり、様々な食材も手に入るようになりました。そして、お好み焼き店でも変化があり今までは小麦粉とキャベツが主流で簡素ですぐに食べれるものからイカやタコの海鮮類、豚肉や牛肉などの畜産物と様々な食材から「お好み」で好きなものを入れて焼き上げる現在の「お好み焼き」へと変わってきたのです。ルーツは昔でも現在の形へと進化するには急激な進化がもたらしたものです。そして、今のお好み焼きはイカ、タコ、豚肉に牛肉までにとどまらず、様々な食材を使用したお好み焼きがあります。道とん堀のメニューではチーズメインの「チーズ4」やキムチと豚肉のコラボレーション「ソウル」お餅やチーズの入った「モチーズ」などさまざまなメニューが登場しています。しかし、焼き方は戦後昔と換わらず鉄板を囲んでコミュニケーションをとりながらだれが綺麗にひっくり返せるか・・・など、一家団欒で食事が出来るツールとしては変わっていません。時代と共に形は変わっているけど、みんなと笑顔になれる最高のツールであることにはいつになっても変わらないもの。それがお好み焼きなのです。

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